横濱繪葉書物語
このコラムでは明治、大正、そして戦前の横濱を写した写真を当時の絵葉書で追いかけます。
横濱絵葉書について・・・
横濱絵葉書は明治、大正、そして戦前まで発行されていました。もともとは横浜を訪れる外国人のお土産として
親しまれました。当然の事ながら、この横浜から、かの地へ旅立ったハガキも多いわけです。
その種類も多岐にわたり、本牧海岸、根岸の海岸やあるいは公園、人々や町の様子、もちろんこのホームページの
主旨でもある近代建築の数々・・横浜の建築や文化を語る上で私達はこれ以上無い、素晴らしい資料としてすこし
ずつみなさんに紹介したいと思っています。
横浜生糸検査所
当時は写真撮影などがまだハイソな時代だったため自分の住んでいる場所の近況を、遠方の身内に伝えるのにも役に
たったと聞いています。その際たるものが震災絵ハガキという関東大震災の惨状を伝える物であったりもしました。
関東大震災を伝える絵葉書(馬車道付近)
戦後は米軍が進駐したため米軍施設などを写した物が多くなってきます。しかしこれらの中でも今は見る事の出来ない
貴重な建築物もたくさん見る事が出来ます。
今後長い活動の中で私達がまだ目にした事のない建築物がこの中にたくさん出て来るでしょう。先人達の偉大な足跡を
追って・・・そして今は面影も残すところの少ない居留地に思いを馳せながら始めたいと思います(加藤)
その1 馬車道、正金銀行を望む手彩
ハガキ
その2 大桟橋を望むコンドル建築、手彩
ハガキ
その3 横浜居留地20番 横浜グランドホテル
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