観音崎公園パークセンター
(旧観音崎砲台付属兵舎)

観音崎公園パークセンターを含むイギリス積み煉瓦造の建物が3棟。
旧東京湾要塞観音崎砲台付属兵の兵舎建物です。
建築年代は不明とのことですが、明治の早い時期であれば、煉瓦はフランス積みであったでしょうから、
明治の後半以降と考えた方がよいでしょうし、だからといって、震災以降にはならないでしょう。

東京湾にせり出し、海岸線まで山が迫る観音崎周辺は、
古く江戸末期から東京湾防備の拠点として重要な役割を担ってきた場所です。
明治時代に入ると、山県有朋の「軍備意見書」に端を発して、東京湾の要塞化計画は着々とすすみ、
明治13年から28年にかけては、現在の鴨居から走水に、次々と砲台が築造されていきました。
それらの遺構は、今なお多くの戦跡マニアや歴史愛好家を魅了していますが、
今はこうして平和利用されていることは喜ばしいものです。

Data
所在地:横須賀市鴨居4-1262
構造:煉瓦造1階 3棟
設計:
施工:
建築年代:明治期
備考:




以下の写真は、宿泊施設「観音崎青少年の家」として活用されていた時に撮影したものです。

 観音崎青少年の家3号館。細長に見えるが、中は52畳・24畳、6人用ベッドルームなどを
 備えた大きな空間。細長の上げ下げ窓が残されており、最も当時の様子を残しているよ
 うに見受けられる。
 

床下の通気を考えてのことか、大きく口を開けたアーチ型の換気口が特徴的。

 

1号館。集会室などに使われている。          
天井板が張られていないので、トラスを見ることができる。

 

2号館。3号館と同様、宿泊施設だが、規模は若干小さい。



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