ホテル・ニューグランド
山下町にまだ居留地制が布かれていた明治23年、
アメリカ人建築家、R.P.ブリジェンスにより居留地20番地に大型のホテルが建てられました。
その名は「グランド・ホテル」。当時の横浜を代表するホテルでした。
ブリジェンスは、横浜駅、横浜税関、横浜町会所などの
主要な建築物を手掛ける一方で、フランス兵営、イギリス公使館といった
他国の施設の設計まで任されるほどの、横浜の最高の建築家として不動の地位を築いていました。
この当時のホテルの詳細についてまではわかりませんが、
遠くからの写真では、煉瓦と木造のチューダー様式のように見えます。
それから20年後の明治23年、
今度はフランス領事館や山手ゲーテ座の設計で知られるフランス人建築家、
P.P.サルダによって新館が増築されます。
この建物が均整のとれた非常に美しい建物で、当時の横浜の風景写真の中にも度々見受けられます。
一等地の所在地にあり、ホテルの規模や豪華さ、ホテル設計に関わった建築家の知名度も含めると、
横浜においてのグランド・ホテルの名は揺るぎないものだったと思われます。
ところが大正12年、あの関東大震災によってその全てがすべてが崩れ去ってしまうのです。
ホテルの経営者は瓦礫の山を前に、ホテル運営の継続を断念せざるを得ませんでした。
これを受けた神奈川県や横浜市は、地元の財界からも出資を募って、新しいホテルの建設に着手しました。
設計者は渡辺仁。さらには、国立博物館や日比谷の第一生命館などのすぐれた建築物で知られる一方、
北品川の原美術館や銀座和光など、皆様お馴染みの建物の設計も手がけてます。
横浜では、ニュー・グランドの他に、十五ビル、宇徳ビルなどの作品がありましたが、現在はすべて失われています。
さて、この新ホテルの建設と同時に、横浜市はホテルの名称を一般公募しました。
結果、採用となったのがこの「ホテル・ニューグランド」だったのです。
市民もグランド・ホテルを忘れられなかったのでしょうか。(仁木)
Data
所在地:横浜市中区山下町10
構造:S.R.C.6階
設計:渡辺 仁
施工者:清水組
建築年代:昭和2年
備考:横浜市認定歴史的建造物 |
シンプルな外観と比較して内部は重厚なつくり。天井部の装飾など、通りからもその様子を見ることができます。
すぐ隣りに新館が建てられましたが、バンケットホール、客室とも現役で活躍しています。
|
氷川丸船上より撮影。6階相当部分の増築は、J.H.モーガンによる設計。 |
(C) 近代建築アーカイブクラブ All Rights Reserved.[
HOME]