掃部山公園周辺散策
(井伊直弼像台座)

横浜に住む人でも、若い人ならこの公園の読み方は知らないでしょう。
「かもんやまこうえん」...意外と地方の人が知っていたりします。
この公園名の由来は、日米修好通商条約の調印をしたことで有名な、
井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)を偲び、
明治42年、彦根藩の雄志が銅像を建てたところによります。
銅像の作者は藤田文蔵という人でした。
残念なことに、現在の銅像は戦後に造り直しされたものですが、
台座は当時のものであり、
何と明治建築界の重鎮である妻木頼黄の設計になります。
鎗田作造の監督のもと、中野喜三郎が施工にあたったのことです。



さて、公園内を少し散策してみましょう。


水は出ておりませんが、井伊直安が寄贈したとされる噴水です。
作者等はわかりませんでした。
やけに人に馴れたハトたちの憩いの場所になっています。


先へ進みましょう。(^^)


公園から紅葉坂方面へ歩くと、すぐに見えてくるのが神奈川県立音楽堂です。
アントニン・レーモンドの弟子であった前川國男の設計。
昭和29年、日本初のコンサートホールとしても名高い彼の傑作です。
また、同敷地に建っている図書館も彼の設計になります。



さて、紅葉坂付近には、ご覧のような近代建築があります。
(画像をクリックしてください。)



さて、もう一度公園のほうへ戻り、
今度は紅葉坂方面とは反対方向、
東急高島町駅の方へ階段を下っていきましょう。

公園出口付近に見えてくるのがこの擁壁。
40×80センチの石を長手と小口を交互に見せて積み上げていく手法。
煉瓦でいうところのフランス積みにあたりますね。
山手周辺でも見られることから「ブラフ積み」と一般的には言われているそうですが、
もともとの伝統的な工法とは異なるやり方だそうです。
鉄道が新橋〜桜木町を走っていた時代、
この山には外国人鉄道技師たちの宿舎があったそうですが、
その頃につくられたものでしょう。(仁木)



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