法政大学第二中学校校舎
(旧法政大学予科本館)
法政大学第二中学校校舎は、法政大学予科本館として昭和11年に建設され、
「時計塔」と呼ばれて、長く地域のランドマークとして親しまれてきた建築ですが、
将来的な男女共学化に向けて施設を整備する必要があること、
老朽化により、災害時の生徒の安全を確保することが困難になったことなどを理由に解体が決まり、
すでに部分的な解体がすすめられているところですが、
これに対し、卒業生らが中心となり解体中止を求めて運動が展開されている状況です。
大戦時の空襲被害が大きく、また急激な都市開発がすすめられてきた川崎市には、
他の大都市と比較して特異的といえるほど近代建築が少なく、
まして、このような地域の景観に大きく寄与するシンボリックな建築は2、3しか思い当りません。
このまま無くなってしまうには、あまりに惜しい建築です。
※残念ながら、その後解体となりました。
Data
所在地:川崎市中原区木月大町6−1
構造:R.C.3階
設計:庄司富重
施工:鹿島組
建築年代:昭和11年 |
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