旧横浜ゴム製造所記念館
(旧日本爆発物製造株式会社支配人執務室)

横浜ゴム平塚製造所の広大な敷地内に建つこの建物は、日本政府と英国の3社の合弁会社として設立された、
日本爆発物製造株式会社の支配人執務室として建てられたものです。
設計図は残っておらず、はっきりとした建築年代は判っておりませんが、
数少ない資料から明治39年又は40年と判断されています。
設計は、こちらも推測ですが、英国3社のうちの1社であるノーベル社から派遣(依頼?)された、
カーリーとその補助者のウィルソンによるものとされています。
平塚市内では唯一の明治期の洋館であり、また唯一の登録有形文化財として、
地域にとって非常に貴重な建物であるばかりでなく、
その範囲を県域に広げたとしても、その価値に変わりはありません。

外観の大きな特徴は、八角形の屋根を載せた塔屋、ファンライトのついたアーチ窓などで、
さらに、北側に2つ並んだベイウィンドウ、南西に巡らされたテラス、
モールディングによる装飾など、洋館としての美しさ・楽しさが随所に見られました。
内部は、南北の廊下を挟んで東側に応接室と第一会議室、西側に第二会議室と洗面所という構成。
外観と比べてかなり改修はされているものの、今まで現役で使われてきた建物として、ごく当然のことと思います。

大正期に入って、一時期海軍の施設となり、将校クラスのクラブハウスとして使用されていました。
その当時は、ピアノやソファーのある応接室と食堂、
もう1室は娯楽室として利用されており、そこには2台のビリヤード台があったそうです。
第二次大戦後は、横浜ゴム株式会社が敷地の払い下げを受け、現在まで同社の手によって守られてきましたが、
その後老朽化に伴って使用される事が無くなり、平成16年4月平塚市に贈与されることとなりました。
平塚市は、近隣の公園への移築を検討しておりますが、
「保存」ではなく、市民が利用できるような施設としての「活用」を目指しており、
名実とも、平塚市民の宝となることでしょう。(仁木)

Data
所在地:平塚市追分2-1
構造:木造1階
設計:カーリ、ウィルソン(推測)
施工:清水組
建築年代:明治39年または40年
備考:国登録文化財

向かって左側は後の増築と推測されておりますが、昭和25年作成の平面図にすでにのっています。
 
 
 



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